【幸せの既製品と自分の幸せ】人生でもったいないのは「諦め続けること」

人生でもったいないのは「諦め続けること」

人は生まれた時から幸福に生きたいと願う生き物。

不幸になりたい人など居ないはず。だけど何かをきっかけに、人生諦めてしまうことだってある。

だけど、それは否定することでもなく仕方のないことだと思うのです。

ただ、諦めたことをきっかけに全てを諦めることだけは、命がもったいない。

 

幸せ像の物真似

望んでる生き方だったり、ライフスタイルがある。

実現することもあれば、実現しないままのことも。

もしかすると、他の道が見えることだってある。

さらに、誰かの物真似だった場合、それは自分の人生に嘘をつくことになる。

だから物真似は続かない。

「こういう生き方に憧れるでしょう?」

「あなたもそうなりたいと思いませんか?」

「これを手に入れると私のような自由な暮らしが実現するかもしれません。」

「これからの時代は、縛られた会社員よりも、フリー、起業ですよ。」とか、まあ、色々。

 

あなた好みで生きる

街に出れば「幸せ像の見本」がいっぱい溢れている。

揉みくちゃに溢れた既製品の幸福にいつの間にか浸されていて、一体自分にとっての幸せが分からなくなる。

一時ある人の生き方に感化され真似事のように生活していたのですが、自分の好みじゃないと気がつく。

この「好み」という言葉は、すべてのお金の悩みを永久に解決する方法で知ったのですが、「誰かが評価した価値のある何か」以上に「自分の好み」を生きることが大切だと。

自己啓発系本を買い漁り、ほとんど処分してしまったけれど、この本だけは大切に残して時々読み返してふり返っています。

「影響力あるあの人が言った幸せ」が素晴らしいと思って、お金を沢山使う。

だけど思ったように幸せには近づかない。何故だろう?それは、いつまでも「影響力ある、あの人のお客さんで居続けているから」

自分の幸せを得るなら、いつまでもお客さんで居続けてはいけない。

今の自分が不幸だと感じるのは【既製品の幸福】または【誰かが言った幸せ像】を握り締めて戦ってるから。

小さな世界の誰かとどんぐりの背比べを続けてるのかもしれない。

「好み」って、評価されにくいけれど、その小さいと思い込んでる自分だけの好み(苗)を大切に育てていくと生き方が変わり、諦め続けることの命のもったいなさに気がつく。

人生、もっと広がるかもしれません。

スポンサーリンク