挨拶してスルーされても、傷つかない、反応しない、自分基準で判断しない。

挨拶してもスルーする人(^^;)

挨拶って、大切だなー、と感じます。
私は、挨拶が好きです。

「こんにちは」「今日はいいお天気ですね」

その一言だけで会話が弾んだり
相手の表情が柔らかくなったりするのをみるのが楽しい。

でも、挨拶してもスルーする人もいるし
「うん」とも「すん」とも応答がない人もいる。

それで、軽くショックを受けたり
「どうしてあの人は挨拶さえできないんだろう?」
「何か心に闇を抱えている人なんだ」
と、相手を勝手に判断して決めつけていました。

でも、最近その判断が自分の心を苦しめてるんだな。
と気がついたんですね。

判断しない・自分が正しいと思わない

挨拶したい人は挨拶すればいいし
したくない人はしなければいい。

そんな風に切り替えができるようになったのって
本当に、最近のことなんです。

「挨拶をしなさい」
「挨拶をするのは常識」
あいさつしない人は、いけないんだーーー!!

と自分の「正しさ」を相手に押し付けていたんだということ。

私たちは、気がつかないうちに
いろんな判断をしてることに気がつきます。

「あの人は苦手、キライ」とか
「自分はダメな人間なんだ」とか
そんな思いがよぎったときは
「あ、判断してるんだな」というときです。

反応しない・判断しない

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
に書いてあるのですが、

人は自らの心を整えず、あれこれと判断して、心を失っている。あちこちに目をやって、一体何の役に立つだろう。己にこだわる意識を抑え、人の評価を追いかけずに、自らの心の内をよく見るがよ ― 長老クマーブッタの修行仲間の言葉 テーラーガーター

相手の気持ちの奥をグリグリほじくって
反応して、考え込んじゃうから疲れてしまう。

でも、相手の本当の心なんてわからない。
自分の気持ちだって、わからないときがあるのに。

私だって、勝手に「挨拶することがいい」と判断して
挨拶しまくっているんです。挨拶する自由があるからしてる。

だから、相手も返事をする自由、
しない自由があるんだよなー。ということです。

ブッダの的の考え方のポイント

ポイントは、
「世間にはこういう人もいるかもしれないが、私はこうしよう。」

と、他人と自分との間に
きっちり線を引くことが大切だということです。

人は人、自分は自分
という明確な境界線を引くこと。

世の中には、判断をしなきゃいけない場面って沢山あるけれど
人間同士の判断、というのは悩みだったり、苦しみを生む種なのかもしれません。

私も、その中の1人にはいってたかもしれません。
でも、その判断って、本当に正しいのか?と思います。
自分も同じことをする必要はないんですね。

だから、挨拶してスルーされても変な判断をしない。

挨拶が返ってきたら、うれしいなー。
そのくらいの気持ちがちょうどいい。

その人は、その人の自由があるから。
相手の心をほじくって判断しない。

自分の心は自分で選べる。
心の平安も、嵐のような心も、自分次第。
人を判断しないようにしたい。

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