1年間断捨離して分かったこと
「断捨離は1年間」と決め短期集中で家の片づけをしました。
ごちゃごちゃだったクローゼットも片付いた。
洋服への執着も薄れ、心がスッキリした。断捨離前の生活と比べると、お金も貯まるスピードも上がり、投資にお金を出せるようになった。
やっぱり断捨離って素晴らしいんだ。捨てるのはいいことだ。断捨離は正しいんだ…そんな風にかんじるときがフッとありました。
そのあと訪れた感情が。
「それで…?次は……?」となったのです。
さあ…次はどこへ?
「次は?」と自分に質問してみると、何かぽっかり大きな穴が開いていることに気がついたのです。
さあ…次はどこへいくのよ?(笑)
え…?どこにいくか分からない?それは不安になります。
それで、自分と対話してみると、「ムダ」を省こうと毎日生活していくうちに、玄米から精米したツルッツルの「白米」のようになってしまったような感覚だったのです。
確かに白米はピカピカしてキレイだし、甘くておいしい。だけど、玄米のように栄養価は低いよね…。そんなかんじです。
断捨離を人生の目的にしない
それでハッとしたのですが、断捨離というのは、ひとつの手段であって、「目的」になってしまうとちがった方向にいくのだとかんじています。
こんなことを書いているけれど、1年間断捨離をして、後悔という気持ちはすこしもないんですよ。
だから、不用品を捨てたり、宅配買取で家にあるものを整理していくことは、決してムダではなく、有効な手段だったとかんじています。
特に冷蔵庫に関しては、断捨離をしてよかったと毎日かんじています。
私に足りないもの
わたしに今足りないものが見えてきたような…。
それは、「なにかを生み出していく力」だったり、「文化的」なものでもあったりします。
「人間は、生活に文化がないと貧しくなる」
…と、そんな話を何かの本で読んだのですが(もう10年以上前に読んだ本なので忘れてしまいました…)
10年経った今、「その通りだな」とかんじているのです。あ、そういえば、美輪明宏さんの書籍にも書いてありました。
人生「必要無駄」もあっていい
ムダな物は、できるだけ片づけていったほうがいいけれど、心の豊かさだったり、人生の彩りにつながる「必要無駄」もあったほうがいいよね。
ほら、料理でもパセリがついていたり、ハーブが添えてあることで、彩りがよくなって食欲が湧いてくる。
花だって、色がなかったら悲しい。グレーの世界になってしまう。
それでも断捨離してよかった
断捨離を1年間して、改めて「人間と文化」は切っても切り離せない関係なんだな、ということが分かったし、好きなものだったり、興味のある分野がハッキリしてきました。
これって、人それぞれですが、わたしの場合、インテリアを美しくすることだったり、食生活、美容に関することでした。
興味のあるものまで精米機を使って白米レベルに断捨離する必要はないし、いろんな形があっていいんじゃないか。
だって、人間って基本的に同じで、同じような生活を送ってる人がほとんどだもん。同じようなことしてあれこれ言ってる。
もちろん、これからも定期的な片付けも続けていきたいし、掃除に関することもアップしていきたい。
ブログで1番大切にしている「シンプルライフ」だってそうです。
そう、これからの生活は、「文化」を取り入れて、心も人生も、お金も豊かにしていけたらいいな…。
何だか欲張り過ぎなわたし…。
「ああ、わたしってやっぱり欲張り人間だったんだな」「それでもいいんだよね。」
「執着しない」ことに「執着していた」
そんなことに気がついてしまったという…。やっぱり、断捨離ってパワーありますね。
今日は独り言をブツブツ話してるような記事になってしまいましたが、そんなことを、断捨離を通して分かったのでした。