なりたい自分になる方法

なりたい自分になる方法,自己実現,コンプレックス,克服

なりたい自分ってありますか?

わたしはあります。だけど、どうしたら「なりたい自分」に少しでも近づけるか、ここ最近ちょっと分からなくなっていました。

すっと心の余裕がなくなったとき、分からなくなります。

 

なりたい自分になる方法

断捨離

それで、久しぶりに以前住んでいた、トタン屋根のボロアパートの前を夫と通ってみたんですね、そしてあることを感じたんです。

久しぶりに見たボロアパートは、何も変わってなかった。相変わらず古いし、シーンとしていた。

じぶんが、あの家に住んでいたということが遠い過去のようで、家周辺の景色が、セピア色に見えました。

 

 

なりたい自分になるには変化(手術)が必要

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住人もお年寄りが多く、ちょっと訳アリな人も住んでいた。「もう、これ以上変化はいらない、現状維持でいい」みたいな人だらけでした。

その場から離れてみて分かったのですが、あの時、なりたい自分を諦めて、どうでもいい場所で、どうでもいい環境で、投げやりな考え方をしていました。

そんな考えは、ある意味ラクでした。だって、今の自分から変わらなくていいから。

同じような人と、同じような暮らしをし、同じように生きて、死んでいく(ちょっと言いすぎかも)

でも、今の自分から本気で変わりたい!と決意し、そこから変わるということは、体にメスを入れるような感覚で、痛いです。

しかも、自分を変えるのって、麻酔をしないから、気絶しそうに痛い。

変化は、傷つくし、痛い。だからイヤになって途中でやめちゃう。これって、ダイエットと似たような所があります。

 

 

環境を変えて分かったこと

そこから変化を起こし、住む場所を変えてから、場所・環境って重要だと分かったんですね。

住む場所で、住人の職業が変わり、住人の質も変わる。当然と言えば当然のことなのですが、環境で、なりたい自分に近づくことができるんじゃないかということでした。

わたし自身、今の家に引っ越してきてから、ボロアパートに住んでいた時には感じられなかった気持ちになったりするときがあります。

それは、「これが一番いい」と思って満足していた環境。だけど、「今の自分はまだまだだ。」とある意味ショックを受けることがあります。落ち込むこともあります。

上には上が居るんだ…。じゃあ、もうちょっと上を目指してみるか…。

 

 

酸っぱいブドウの話

そうそう、そのあと心屋仁之助さん著書「一生お金に困らない生き方 」を読み返して、「ああ、これかも」という文章がありました。

引用

イソップ童話に、ブドウが食べられないキツネの話が出てきます。

高い木になっているブドウはとても美味しそうですが、キツネは取ることができません。するとキツネはこう言うのです。

「どうせ、あのブドウは酸っぱいし」

「俺はお腹なんて空いてないんだ」

「あんなブドウ、ほしくないよ」

キツネはブドウが手に入らないと諦めています。だから自分が傷つかないよう、最初からブドウは欲しくなかったことにしているのです。

そうやってブドウ(=豊かさ)を否定する。豊かさから目を背けてしまいます。

でも、僕は思います。本当はブドウの木にはちゃんとはしごがかけてあったんじゃないかと。

 

読んでみると、自分も「キツネ」になっていることが多いんじゃないか?本当に欲しい、手に入れたいもの(ブドウ)があるのに、欲しくないフリをして傷つかないように生きてることが。

実現可能な方法で「なりたい自分」になる

 

もう、なりたい自分があるなら、魚の美味しい部位ばかり食べるのではなく、ふだん捨ててしまう「内臓をまるごと食べること」なんだと。

内臓って、苦くておいしくないけれど、栄養バッチリです。

自分と似たような人と一緒に居続けてはいけない。居心地がいいのは快適だけど、そこから先は生み出すものが少ないし、マイナスになることがおおい。

常に自分より上の人と一緒にいること。自分より上だと感じる人って、こわいし、自分のコンプレックスをザクザク刺激される。泣きたくなるし、逃げたい。

だけど……。

なりたい自分・実現したいことがあるなら、実現している人の傍に近づき、自分をその環境に放り込むことが、実現可能な方法で、一番現実的なんじゃないかということです。

変化は傷つくことなんだと、最近、そんなことを感じています。

同じような人と、つるまない・群れない・馴れ合いをしない。

(よく言われる言葉ですが、「ダイヤモンドは、ダイヤモンドでしか磨かれない」と似ているかもしれません。)

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