やらない理由だけは一丁前!やりたいことが出来ないのは「それ」を握りしめているから

ブリューゲル「バベルの塔」展。

東京都美術館まで行きました。

リンク:【公式】 ブリューゲル「バベルの塔」展

今まで興味があっても出来なかった所へ足を運んだり、小さな興味を満たすことを始めています。

その一つがね、「美術館巡り」

…と言っても、まだ数える位しか出掛けていないのですが、これがね、すごーく良いんですよ。

何が良いのよ?…って、やりたくなかったことをお終いにしていく。やりたかったことを許可する。ブロックしていた自分から抜け出していく気持ちよさを感じられること!

(あ、日本語おかしいかもしれません。)

もうね、気持ちが良くて「あー、生きているってイイなー」と感じられる。今までそんなことを感じることってほとんど無かったのです。

 

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「やりたくない」を選んでいた

そんなわたしは、子供時代から、やりたくないことをずーっと進んでやっていました。

やりたいこと・好きなこと・夢を諦め、ガマンするのが当たり前になってしまったのです。

だけれど、当時は生きるのに必死だったから、その時は精一杯の判断だったと思う。その時の自分も認めてあげる。

でも、そんなガマンだったりやりたくないことを長年やっていると、ボタンの掛け違いのように、おかしくなっているのに気がつく。

心が飢えるような感覚で、「やりたくない」から「やりたいこと」を魂が求めているのに気がつく。

気がつくのがちょっと遅かったかもしれないけれど、そんなことをね、今年入ってから意識するようになって…。

反対に、ずっとやりたかったことを始めてみると、「なんだ、”やりたくないこと”を握りしめていたのは、わたしだったのね…。」と……。

今までは、「行ってみたい」「やってみたい」「興味がある」と思っていたことができなかった。

最初の一歩が踏み出せなかった。

 

やらない理由だけは一丁前

何かと理由を付けてね、やらない理由だけは一丁前で(笑)

お金がかかるから…とか。

時間がかかるから…とか!

それについて詳しくない…とか!!

そんなこと始めるのは相応しくない…とか!!!

今さら始めてもしょうがない…とか!!!!

やりたくないことをする。当時の環境もあったのかもしれません。

 

やりたいことが出来ないのは「それ」を握りしめているから。

だけれど、もしかすると、その大変だった環境は、昔のことであって、今も続いてることってほとんどないかと思います。

そして、随分と時間も経ったかと思います。もう、やりたくないことを握り締めて「あーわたしは一生好きなこと、興味のあることは一生出来ないんだーー!!」

そんな風にバタバタ小さな世界でもがいていたのは、自分だった。

やりたかったことを自分に許可して、ブロックしていたことを始めると、人生人の目を気にし過ぎたり、お金に執着しすぎて苦しんだり・・・。

生きてる意味がよく分からないとか意味不明になることがシャボン玉ようにパチンパチンと消えていく感覚。

そこには、好きなことを選択していい世界、好きだけがある世界。