いつの時代の自分であっても否定しない

自分,否定しない,過去,現在,今

突然ですが、いつの時代の自分であっても、自分を否定しないでもいいのかもしれません。

わたしも突然ハッと感じたことなので、今すこーし驚いていて。

どうしてそんなことを感じたのかと言うと、懐かしい場所・人に会いに行ったから。

 

ちょっとだけ昔話

懐かしい場所といっても、キラキラした場所でもなく、結婚して3年ちょっと住んでいたトタン屋根のボロアパートのこと(笑)

引越しして県外から出たので、新婚の頃住んでいたボロアパートは遠い場所となりました。

数カ月ぶりに引越し前に住んでいた所へ用事があったので、車を借りたついでに、あの「ボロアパートの前」を通ったのです。

ボロアパートの前を通ったのは、ほんの数秒。5秒もなかったと…。

ですが、その5秒の間に、走馬灯のようにその時起こった出来事を思い出しました。

 

自分否定=イジメ

新婚でトタン屋根のボロアパートに住んでいたころを思い出すと、ほんのり自分を否定していたように思います。

もちろん、良いことだってありました。ですが、自分イジメをしていたんですね。

何だかお金も心にも余裕を持てることが少なく、どうしたら現状から脱することができるのかな?そんなことばかり考えていました。

だからって、あの時つらかった時間には意味があるんだ、なんて何でもかんでも”意味付け”をしようとは思いません。

ただ、どんな時代の自分であっても、点と点が集まれば、どんなに小さな点でも線になって繋がっていくのです。

ああ、それじゃあいつの時代の自分であっても、否定しちゃいけなんだな。そんなんじゃ、自分が可哀相だよね。と思いました。

わたしもそうなのですが、人生上手くいってる時というのは、笑顔になれるし、前を向くことが簡単です。

ですが、うまくいかない時、どんなに努力しても、認められなかったり空回りしたり、息切れしそうになる時…。

誰もいない所で涙をうーーーっと流したり、自分を否定してしまう。

悲しみの海の中、このまま上手くいかないんじゃないかと、恐怖や不安で、人生自体を否定してしまいます。

ですが、ボロアパートを数秒みて感じたのは、つらい時ってどうしても先が見えにくくなってしまうこと。

ばーーーっと濃い霧で覆われて数メートル先が見えなくなってしまう。

それでも生きてるわけで、つらい時がすべてじゃなくて……。

なんだろう、霧が薄くなってきて、その時ようやく気がつくんですよね。

ああ、小さな点と点が繋がって線になっていたんだ」と。

 

過去はゴミじゃない

よく、「過去はゴミだ」という人が居ますが、その言葉を聞くといつも「ええ??」と感じるのです。

ゴミだと思った時間でも、生ごみでも使いようによっては良い肥料になると思いませんか。

くさければ、くさーいほど美味しい野菜が育つ肥料になる。

だから、今つらいな~、なんでこうなんだろう?って感じていたら……いつの時代の自分であっても、自分を否定しないで欲しい。

 

いつの時代の自分であっても否定しない

今は「線」になる途中の「点」なんだよと…。だから自分を信じてねって。

そんな感じで、ボロアパートを通ったきっかけで、過去の自分(もう一人の自分)に救われたような、もう一人の自分に応援されているような…「がんばれよーーー!」って…。

そんな気がした瞬間でした。