全て失ったとしても人の価値は変わらない

在宅医療,訪問介護,ガン

末期ガン・介護・人の価値

わたしの祖母は末期ガン。両親が介護しています。

いつ何が起こってもおかしくない状態。でも祖母は病院大嫌い。

在宅医療・訪問介護を選択しました。

ぜーーったいに人に弱みを見せない祖母が、今までしたかったことをしてるようにも見えます。

その様子を見ながら受け取るものが多くて。

昨日のブログで「命のムダづかいをしない」と書いたのは、祖母の様子をみて感じた言葉でした。

 

[blogcard url=”https://maneki3776.com/2017/09/05/70905/”]

 

孫のわたしは、祖母になにができるんだろ?

考えると、「そばにいること」だったんですね。

以前だったらわたしが帰る時「またおいで」と一言だけ。

でも最近「何で帰っちゃうの?帰らなくていい、一緒に住めばいいの!」必死に訴えてくるように。

祖母は「もう長くないって分かる、自分が一番分かってる」と話しながら。

まあ、何も特別なことなどしなくても、同じ屋根の下で生活する。

それだけでいいんだと。

だけど人って「ない」の数を数える生き物。

だけど、ないをブツブツ数えなくても元々全部持っていたんだ。

祖母の末期ガンで気がつきました。

(ええ?足が動かないってこういうことなんだ…)

(ご飯食べたくても食べられないってこういうことなんだ…)

(自力でお風呂に入れないってこういうことなんだ)

「ああ……。」って感じる。

 

スポンサーリンク

失っても人の価値は変わらない

でも、悲しいとかそういうことじゃなくって。

自力で出来なくなってもその人の価値が落ちるわけでもなく、失われても人としての価値は変わらない。

わたしね、正直祖母が自力で生活するのが難しくなるまで、人の価値は「できることの数」だと思っていた所がありました。

失ってから気がつくことがあるって飽きるくらい聞いてきたけれど、ほんとうのことでした…。

 

後悔なく過ごしたい

ただ、祖母の自宅へ行く回数が増えることで、夫と半分別居生活になりかけています(笑)

でも夫は「後悔してからじゃ遅いから、おばあちゃんと一緒に過ごしてきなよ」とわたしに言ってくれた。

家の事なんてホトンドできないと思ってたわたしがいけなかった。

夫はわたしが居なくても家事をちゃんとやっている(笑)なんだ出来るじゃーん。

「あの時やってあげたらよかった」

「あの時もっと一緒に居てあげたらよかった」

そうなんです、後悔することだけはしたくない…。

今までやらなくて後悔した数が多い。やっぱり後悔だけはしたくない。

祖母と過ごす時間、全身筋肉痛になりながら笑いを失わないように心がけ過ごしてます。

[blogcard url=”https://maneki3776.com/2017/09/16/7916/”]
スポンサーリンク