弱さは決してマイナスでもなく恐怖心を感じる必要もない

介護で失うもの・受け取るもの

祖母の様子を見に、県外にある実家へ行く機会が増えました。(祖母は末期ガン)

その度に、家族から受け取るものが増えてきているのも確かです。

とくに、祖母からでしょうか…。

日に日に自力で出来ることが減り、寝ている時間が増え、誰かの手が必要になってきました。

そんな祖母を見て、手伝いをしてる瞬間、何気ない会話、買い物へ連れて行ってる時…

まあ、傍から見ればつまらなく、ほんとーにつまらない。

なんてことの無い生活の一コマなのだけど、受け取るものの大きさがあまりにも大きくて、溢れる。

なんだろうなあ?目には見えないんだけど、大きいんです(笑)振り返って、色々感じてみたんです。

そしたら、これかもしれない。ちょっと書いてみますね。

 

人間の弱さ・自分の弱さ

それは、人間の弱さ。

わたしは普通の人が大丈夫なことがだいじょうぶじゃない。

耐えられることでも耐えられない

ガマンできない自分が大嫌いでした。

どうして他の人はできるのに、わたしは出来ないんだろう?

他の人は大して気にならないこと・些細なことに、どうしてこんなにも気になってしまうんだろう…。

生き方が分からなくなってしまった時もありました。

今でも迷いはあるのだけど…。

この世界で生きていくのには、強さが必要。

だから、いつも強く生きないと、生きていけない。弱い所なんて見せちゃいけない。

そして強さが認められ、弱さは排除される。

だからもっと、もっと、強くならなきゃいけない、いつも笑ってなきゃいけない。

泣いちゃいけない。弱音を吐いちゃったら負け…。

「できません」って言ったら出来ない人と思われる、仕事がなくなる…。

環境の変化で心がついていけず、最近、そんな「ダメな自分集め」をしていました。

ですが、祖母から受け取っているのは

「弱さは決してマイナスでもなく恐怖心を感じる必要もない」

ということでした。

病気になっても、末期ガンでも、弱くなっても、出来ないことが増えても…、自分を安売りすることだけはしない人だなー。

「私は私」なんです。どんな自分でも、私には変わりはない。

もう、何だか自分の弱さにホトホトいやになってしまい…

 

HSPという生きづらさを感じる人たち

最近、鈍感な世界に生きる 敏感な人たちという本を読んでいます。

人より敏感な人をHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と呼ぶそうです。

Wikipedia:ハイリー・センシティブ・パーソン

そこには、色々なこと(音・におい)が気になったり、気がついたりして疲れてしまうのは

神経質でも、忍耐力がないわけではないということ。

敏感さは、「能力」だと。

わたしは、強くなろうと思う程、自分から遠ざかっていくように感じています。

だけど強さだけじゃ、生きていけない。

もしかすると、自分が弱いと思って嫌だと感じる部分って、活かし方によっては大きな才能がひらくのかもしれません。

弱さを排除しようとすればするほど苦しくなるのは、

弱さは自分にとって、生きる上で決して排除してはいけない大切な部分なのかもしれない。