「もう、背伸びはしたくないな。」
いきなりタイトルから話が脱線してしまうのだけど、長年の不調で悩まされていた原因が分かり、何十年と「自分の問題」と表に出さないで強がっていた部分を手放していいと分かったことで、ずいぶんと肩の荷が軽くなったような気がします。
そんな、強がりや自分を隠しての背伸びはもうお終いにしたい。
断捨離って悲しい
…。
数年前、洋服の断捨離で沢山捨てた。
そこから、ワンシーズンで捨てても後悔しない服もいいかな、なんて数千円の洋服を買うようになったのですが、ワンシーズンで捨てる洋服は、やっぱり私には悲しい。
ワンシーズンで断捨離する悲しさという感情を感じた私は、どこにその気持ちを持っていったらいいのだろう。
どうしてもワンシーズンを前提として作られ売られた洋服は、ワンシーズンでしかないんだ…。
これは、私の中で悲しさしか生まれてきませんでした。
買ってから数回着てる間はいいんですよね、だけど、日に日にダメになっていく洋服を見て、それを身に纏うのが悲しい。
こういった悲しみの感情を感じるのもひとつの勉強なのかもしれないけれど、私の人生で洋服やモノにそういった感情は必要としていない。
短くても2年は着たい。
普通に4,5年着たい。
安売りと安い人生
洋服以外の物でも言えるのですが、ここ最近、捨てるのが苦しい。
安い物、高い物。すべて。特に「一生もの」と判断して購入したものが、一生ものではないということに気がついて、手放す時が来たこと。
そんなふうに、物に一生ものがないということ=人間の命も一生ではない。
安売りの物を、使い捨てにし…と、便利に使いこなしてると思っていたけれど、ちょっと怖いな、と感じたり。
それは、人が安売りされ、そして安い人生になってしまうのではないかという恐れです。
コスパと効率に危機感を抱く
シンプルライフ、家事の時短とコストパフォーマンス、効率化を求めすぎた結果、最近は喜びの感情が薄れてしまったようで、危機感を抱きました。
だからって値段が高ければ何でもいいわけではなく、家事に時間をかければいいってことでもない。
安い、早いに飛びついたものは、いつか安物しか手に入れられなくなる、そんな人生になるんじゃないかな。
そんなことを、長年の不調で思ったのです。
それは、自分や見てる世界を安くしてしまうと、出会うべき人に会えるアンテナが立たなくなる。
自分をしっかり見つめること(現実を見ること)で、必要な人に出会うチャンスが来ると感じます。