等身大の自分でも人生そこまで困らない

女のオシャレは半強制的?

男性ファッションより、女性ファッションというのは、毎年グルグル目まぐるしく変化します。

「男性に生まれてきたら、オシャレってそこまで気にしなかったかもしれないな。」

男の人って流行の変化はそこまで大きくはなく、夫の洋服は3年以上大きな変化はなし。

というか、ほとんど買い替えていない。なんてラクなんだろうと。

 

女ってやっぱりメンドクサイ

なのにどうして女ってこんなにめんどくさいんだろう。

頭のてっぺんから始まって、スキンケア、メイク、爪元の先端の手入れ、洋服、ムダ毛の処理…

と、シンプルな暮らしを送る前から薄々感じてた。

確かに身ぎれいにしていると気分が良いし、姿勢もしゃんとなる。

だけど女だからやらなきゃいけない、半強制的な感じで行っていた。

…なんて30代の私は、今までオシャレにかけた金額を思い出しながら思ったのですが。

なぜ「それ」を行うかというと、自分というより、世の中よいうより、社会的というより、異性のためというより、同性である女性に可笑しく見られないため、見劣らないため。

同性の目線が気になるからなんだと気がついた。

女性って、数秒の間、そう、一瞬のうちに1から10までチェックし判断する。(できる)

なぜかというと、女性は選ばれる性だから、どうしてもそうしてしまうんだそうです。本能なんでしょうかね。

そんな私も、そうなのだけど、それが本気で嫌になった。

そんなことより、もっと他のことをしたいし、オシャレが女の全てじゃないと思いたい。

本来、オシャレってなんの為なんでしょうか?

 

等身大の自分

それで、自分のファッションを気にし、誰かのファッションをどうこう思ったり判断したり、比べたりするのは、おかしいことなんじゃないか、と思うようになったことです。

どうしたら気にしなくなるんだろう。

それで、図書館で何となく手に取った

自分の答えのつくりかた―INDEPENDENT MIND に

長年考えても出なかった答えにヒントを与えられました。

というのも「等身大の自分」という言葉でした。

浸透しきった”ありのまま”でもなく、”等身大”

等身大,生き方,ファッション

それで私は、等身大の自分というものを見つめなおしたんですね。

ちょっとやってみると、踏み込んだアクセルをフッと緩められるはず。

 

等身大でも、そこまで困らない。

そんなこんなで、ここ数カ月、自分自身のファッション、そして相手のファッションだったり身に付けてるものに、そこまで気にならなくなりました。

自分が気にならないと、相手のことが気にならない。

等身大の自分でも、人生そこまで困らない。

例えると、大人になるにつれ、いつの間にか等身大の自分から、塗って塗りまくって分厚くなった衣だらけの天ぷらになってしまっていた。

もっと、等身大の自分という姿を認めてあげても良いんだと思う。

たとえ、小さな頃に困ったことがあって、今まで背伸びな自分を不安と違和感を抱きながら暮らしていたとしても。