言葉はシャボン玉
言葉って、シャボン玉のように一瞬で頭の中から消えてしまう。
だから忘れないうちに、文字に残しておかないと1秒ちょっとの間に次の思考で思い出せないことがあります。
それが一瞬思いついたシャボン玉をメモしておいたことで、数か月後・数年後の自分に大きなヒントがあったりすることが多い。
昔からメモの習慣がありました。
10年前くらいだと、小さなメモ用紙とペンをいつもバッグに入れシャカシャカメモしていたけれど、現在はスマホアプリを使っています。
愛用中のメモ帳アプリ
使用スマホはAndroidで家計簿だったり、ラジオアプリが入っている。
その中のひとつにメモ帳アプリがひとつだけ。
多機能メモ帳もいくつか使ったけれど、つかいこなせず速攻でアンインストールしたものがほとんど。
現在は、シンプルな「文字を入力するだけ」のアプリ Simple Notepad を愛用中。
数週間の間にザっとこんなメモを残していた。
- マクロ経済
- こだわらないもの
- 英語・わ、する、を
- なぜ服がたまってたのか
- 家の中の労働者
- 人間の思考はザルの目のようで
- 空気を抜かないとガスを送れない
- 奥さんはいつもサラリーマンの
- ぐちゃぐちゃ、こ
…??
こ…?
まとまりもなく、取っ散らかったメモですね。
最後の「こ」ってなんだよ?ですが、電車に乗っていて降りる途中メモアプリを閉じたのかな、あやふやですが‥。
でもね、あの時思ったできごとをハッキリ思い出せるのです。
メチャクチャだと思える言葉でも見返すと言葉と思考の整理ができます。
溢れる思いを隠してしまう前に
1年前のブログには、こんなことを綴りました。
日々、1秒1秒息を吸ったり吐いたりして生きてると、無意識のうちに、溢れる思いを隠してしまうことが増えます。
わたしにとって、その溢れた感情を解消するのが、日記帳に書くこと。(+ブログ)
そうなんですよね、無意識のあいだに、溢れる情報の中でほんとうの感情を消し去ってしまうことが、あまりにも多い。
特に情報が多く、人口も多い所にいる時間が増えると、何が正しく・何が誤りなのか判断力の鈍りを感じることが増えた。
言葉を封印したことで、その場は上手く乗り切れたとしても、後々困ってしまうことがあった。それは、自分という人間がなにを考え・何をしたく・何のために生きてるのかを。
最近思うのだけど、ブログというのは発信アイテムのひとつだけど、じぶんメモ帳でもあるのだな、ということです。
ブログ名を「まねき手帖、まねき日記、まねきブログ」のどれかにしてもいいかな、と最近おもうのだけど、どうなんだろう…。
実際変更したら、ブログからほんとうの意味で「日記ブログ」になりそうで、こわい…。
メモの必要性・続けること
ブログを毎日更新していた数年前と、不定期更新になった今では文章力だったり言葉のボリュームが減った。
それは、筋肉が減ったのと同じで、マラソンしても10メートルで息切れしてしまうような感じ。
うーん。書き続けないと、だめですねえ…。
言葉のシャボン玉は消えてしまわないうちに、残しておかないといけないな、と筋肉の減ったやせ細った文章を読みガックリ再確認。