目に見えるものはすべて自分を映す鏡

目に見えるものはすべて自分を映す鏡

前回アップしましたブログアンケートにお答えいただきました皆さま、ありがとうございます。

想像してたより投票いただき、おどろいています。(5票くらいかな?なんて思っていたので・・)

アンケートはこれからのブログに参考にさせていただきます。

10月9日までアンケート受け付けています。

 

目に見えるものはすべて自分を映す鏡

先日、ある場所へ行き、ある人たちに会いに行きました。

何気ない会話をしていたのだけど、あることに気づいたのです。

「目に見えるものはぜんぶ自分を映す鏡」

自分はなんだ?っていうと
目に見える世界は、自分を映す鏡なんだということでした。

今でも時々あるのだけど、モノがごちゃついたりモノが少しでも増えると自分を棚に上げて、モノのせいにしたくなる。

数年前は、モノが沢山あって、それがイヤで。

つまんない人生を変えたくて。モノをキライになって、たくさんのモノを「いらない」って言って捨てたけど。

ちがう。

ちがうよ。

モノは自分を映し出す鏡だったんだ。

モノをきらう自分はなんだろう?
誰がそのモノを選んだのか?

運んできたのは、だれ?
それを選択したのは、だれ?

ねぇ、ぜんぶ「自分」でしょう?

だって不思議だと思いませんか。

自分という「存在」は、どんなにお金をかけても
自分という「じぶん」を、抱きしめることは一生かけてもできないことに。

これは私が中学生のころに気がついてしまったことで、どうして自分の姿は見ることができないのだろう?
鏡越しからでしか見ることができない?…なんて世界なんだ!と疑問でいっぱいでした。

けれど大人になるにつれ、そんなことも忘れていってしまいました。

大人になってからは、何だか世間やいろいろなことが頭の中で押し寄せてきて、それどころじゃなくなった。

自分だけはしっかり見えているはずだし、「だいじょうぶ」と思ってたところがありました。

でも、目に見える世界はぜんぶ自分を映す鏡と感じて
今まで「正解」と信じていた「思考」だとか「思考をコントロールする」というのは、デタラメなのかもしれない。

思考は、あくまでも頭のなかでどうにかしている部分であって。

自分を思考でコントロールする。なんて得意になっていた部分があったけれど、「自分を見ること」に日々のノイズで掻き消されていたのかもしれません。