今日はブログに対するきもちをつづろうと思う。
ブログという場所で、じぶんの頭のなかを公開すること。
ブログを書くことで
書いたばかりの主観的な視点から
自分の姿を客観的にみられること。
そんな、過去のじぶんから、プレゼントを受けとることができるのです。
だれにも見せない日記でもいいのかもしれない。
だけど、人になにかを公開したり見せる機会って、日常生活ではなかなかない、ことですよね。
しかも生活スタイルだったり、家事だったり。
シンプルライフだったら、断捨離とか掃除とかありますが。
まねきは正直なところ、ブログに私生活を公開することの恥じらいの部分が出てきて
一時期、じぶんの考えること、やってること、書いてること。
もう、やることなすことうまくいかなくなって。
全てに自信がなくなって、じぶんはダメだ。って。
ブログをゼロにしてしまいたくなった。
今思えば、1年前体調を崩してしまった、のが大きなきっかけだったと感じている。
そのとき、一部ブログを非公開にしてしまったし、
消した画像も沢山あります。
だけど、やっぱり記録に残す、というのは
自分にとっても見る側にとっても、お互いの成長確認に大きく役立つということです。
そんな私は、好きなブロガーさんの記事の過去記事(しかも最初からさかのぼって)読み返すことが、けっこうあります。
すると、そのブログ記事を読んでいた時代を、俯瞰してふりかえることができるんですね。
「ああ、〇〇さん(好きなブロガーさんのこと)、数年前こうだったなあ。そう思うとお互いずいぶん変わったなあ。」
!!
スマホの画面でひとり勝手に女子会(婦人会)をしてるのだけど。
・・たぶん、多分ですよ?まねきだけじゃないと思う(笑)
じっさい会ったこともないし、声も聞いたこともない。話したこともない。
だけど、なにかのきっかけでブログで出会い、知り合うことができる。
同じような境遇だったり、価値観が似ていたり。
考えていること、目指している道が同じだったり。
たぶん、一生会うことはないかもしれないけれど、
ブログでお互いを磨き合っている、そんな効果がブログにはあるんだと思います。
ということは、ブログってWeblog(ウェブログ)の略ですが、
消さずにずっとネットの海に残しておく方がいいのだろうな。なんて感じたり。
もし、まねきがこの世界からいなくなったとしても(死亡)
ブログという存在が残っていたとしたら・・・・・。
それは、ある意味生きてきた証であって、記録であって。
ちょっとあれですが。
ネットのお墓。なのかもしれない。
ブログという名の墓です。
今からお話しする内容は、個人的な価値観・かんがえなので軽く読んでください。
人間の死亡率は100%
かならず死ぬ。ということだけは約束されてる。
それで気になるのが死んだ後のコト。
まねきはこの世から居なくなったら、
お墓はいらないな。と感じる人間です。
あと、お葬式もいらなくて、直葬でいい。戒名もいらない。
極端なかんがえかもしれませんが、
まねきは棺桶に入った遺体の周りにキレイなお花なんていらない。
生きてる間に、たくさんの花を手にすればいいし
花が欲しければ生きてる間に自分で好きな花を思う存分育てればいい。
まあ、これは1年前の祖母の死を思い出して感じるのだけど。
「一人」から「一体」になって。
焼かれて骨だけになって。その遺骨をお墓という石のかたまりの中にのこしておく・・
なんだか不思議な世界ですね。
ただ、そこまでして、この世界に物を残しておきたくない。
だからって、散骨というのもけっこうな高額なんだそうです。
これは母と話したのですが、散骨に100万以上かかるのだとか。
散骨もいいなあ、なんて思うのだけど
死ぬのってやっぱりお金かかるなあ。なんて、重たく笑ってしまった。
書きながら気づいたのだけど、
いちばんの恐怖は、お墓がどうのこうの。
というより、じぶんという存在を地球上から忘れ去られることなのかもしれませんね。
まねきは今、30代前半のオンナだけど
私たちが70・80代になった時の世界はどう変化してるのかな。
ちょっと想像もつかないですが、お墓に対する価値観もかわっているのでしょうね。
ということで、ブログというお墓はできたら残しておきたい。と感じました。
(ちょっと微妙なしめくくりですが、ここまで。)